「微笑みの国の祈り」

事務総長 水谷栄寛

タイのプミポン国王がお亡くなりになって僅かに週間も過ぎないうちにネパール・ルンビニーへの出張となり、タイにて乗り換えをしました。
タイ国は国王の死に対して正面から向き合っている事を感じました。
あらゆる所に国王の遺影が飾られており、飛行機を待つゲートにて一生懸命国王の遺影に向き合い、真剣にお祈りを捧げました。
先ずネパールのルンビニーに到着して、タイ国の寺院を訪れて、第一回目の正式な供養を行なう事が出来ました。
今回私がネパールを訪れた最大の目的はルンビニーの学生を高野山大学に留学させる為の準備に訪れました。
高野山大学の奥山教授にお力添えを戴き日本へ学生を送るお手伝いをして参りました。
ルンビニーと高野町との姉妹都市調印式にも立ち会う事ができ、とても光栄に思っております。
10月28日文化大臣にご挨拶をし、翌29日にバンコクへ向かいました。
30日にはチェンライに向かいワット・メングライを訪れ、お釈迦様の時代より継続されている草木染めを拝見して、その後本堂にて国王のご供養を行ないました。
こちらのお寺での染色の技法は一年のある一定の時期に実施され、今朝を染める事で洗濯と香り付けを行なっているわけです。
31日バンコクに戻り、私が宿泊するホテルの近くワット・プロンポンにて三回目の国王のご供養を致しました。
私が初めてタイ国を訪れてから25年以上の月日が流れました。
この度国王の死に対面し、いかに国民から国王が尊敬されなくてはならない存在であった事をと国民との強い絆を実感する事が出来ました。
同じ仏教国の日本ではどうでしょうか。
信教の自由と政教分離に阻まれて、とても不自然な関係が露呈されています。
何か宗教は見えない力で統率されている観もあります。
日本は民主主義の中、本来あるべき姿からかけ離れているように思えてなりません。
タイ国の国民の思いはとてもシンプルであり、ストレートです。
国を守るために憲法改正が叫ばれる中、終戦から71年の時間が流れました。
本当に戦争は起こるのでしょうか、もしそのような思想が高まったとして、今の日本の青年達は戦争に参加する人はごく僅かでしかなく、自衛隊に頼りきりになる事は明白です。
それではなぜ宗教のみ道徳教育にも取り入れられず、共通の宗教観を持てない事がとても疑問です。
世界の国々の中で唯一共通の宗教を持たない国は日本の他には独裁政権以外存在しないのです。
私が毎年現地時間12月7日に行われるパールハーバーの慰霊祭においても先ずはハワイの宗教者の祈りがあり、次にキリスト教の祈りへと続くのです。
その式典の中で日本の宗教に与えられた時間の中、担当となった代表により平和の祈りが捧げられます。
昨年も我々は一昨年同様に千鳥ヶ淵と靖国神社において慰霊祭を行いますが、決して危険な行動とは思いません。
私は昭和天皇が崩御の模様は記憶に鮮明に残っております。
この度のタイ国での国民の国王に対する自由な言動に対して私はとても羨ましく思われてなりません。
先日の三笠宮様の葬儀もマスコミにコントロールされた不自然さを感じました。
国民の信じる宗教で思いを届ける事が出来てこそ、本当の民主主義ではないでしょうか。